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夢松物語~植樹~
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ゆるやかに弧を描いた海岸線に沿って、白い砂浜と緑の松原の帯。 そんな風景を、白砂青松と呼びます。 昔、日本の海岸線にはずっとこんな景色が続いていました。 安藤広重の東海道五十三次や葛飾北斎の富岳三十六景などにも 描かれ日本の原風景とも言える松原。 この松原も実は自然にできたものでなく、その地域に住む人や 農耕地を砂、潮そして風の被害から守るため多くの人々の手に よって一本、一本植えられものだという事をご存じですか。 今、日本に点在するほとんどの松原は、地域に住む人が、 自分たちの暮らしを守るために植えられ、そして大切に 育まれたものなのです。 その頃、福岡の博多湾沿いにも筑前八松原と呼ばれる素晴らしい 松原が拡がっていましたが時代の移り変わりと共にその姿も次第に 消えて行きました。 福岡市の西北部には、かつて筑前八松原の一つに数えられた百道松原が ありました。 この百道浜が埋め立てられ、人工海浜公園として造成されるのをきっかけに、 昔の人たちのように「自分たちの手で松を植え、白砂青松の美しい松原を復元しよう」と 女性達を中心とした市民運動が起こり、昭和62年『はかた夢松原の会』は誕生しました。
 何もない海岸線に、一筋の緑の帯「夢の松原」をこの手で植樹し育てたいという熱望がみんなの胸中に膨らみ、会の結成と植樹への行動は迅速でした。
 松苗の募金を全国に呼びかけ、募金を頂いた方には領収書の代わりに緑の株券を発行。この「緑の株主」への配当は松ボックリとしました。また、株主の名前は全て有田焼の陶板に焼き込んで松原の砂止めブロックに貼り付けるなど「自分たちの手で植えた松が育つ姿をいつまでも見続けてもらえれば」との想いから決めた、この遊び心のある親しみ深いアイデアは好評で会員募集や、植樹活動の継続も容易になり大いに広りました。
 




 博多湾に松を植え続ける運動は、緩やかにしかし着実に広がった。毎年恒例の植樹会には、個人、団体、企業、行政と、大人から子供までさまざまな人が参加し、植樹場所も福岡市東部の「海の中道」から西の「生之松原」まで博多湾沿いに広がり、平成13年3月現在累計24,600本の植樹を行い、延べ18,520人の緑の株主名が陶板に焼き込まれている。

  第1回植樹より1年後(昭和63年)の百道浜
 
株主(募金者)の名前は全て、有田焼の陶板に焼き込まれ夢松原沿いのブロックに貼り付けられている。
現在464枚(1枚40名記載)
 

平成元年3月「夢松原」の運動の主旨を記した石が百道浜に設置された。
表面 書:桑原 敬一(元福岡市長)
裏面 詩:谷口 治達
 書  :谷口 結

  総延長2.5キロメートルに及び埋め立てられ、人工海浜公園として造成された百道浜を、「自分たちの手で松の植樹をし、松原を復元しよう」という市民ボランティアの提案を行政が協力し、市民に喜ばれる海岸を創り上げたのは、当時ではあまり前例のない事でした。 百道浜の松原は立派に成長し、海辺の憩いの場として親しまれている。